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第1回「オンライン Online」レポート

  • 執筆者の写真: staff
    staff
  • 2020年5月7日
  • 読了時間: 5分

更新日:2020年5月8日

2020年5月6日 15:00~17:00





戸谷洋志さん主催で大阪を拠点にし<「つくる」を語る・考える>をコンセプトに構想された「技術の哲学カフェ」の初回が新型コロナウイルス禍のあおりを受けて、Zoomを用いたオンラインで行われることになった。そのテーマはまさにズバリ、オンライン/Onlineである。


***


会は、戸谷さんからの簡単な趣旨説明のあと、定員を超える25名の参加者が今回呼ばれたい名前と意気込みを一人ずつ述べスタートした。そしてオフラインの際の哲学カフェと同様に、テーマにまつわる一つの問いを全員で決めていく。今回はチャットで即座に集まった11個の候補のなかから「ビデオON/OFFの違いとはなにか」「Onlineとrealのコミュニケーションの違いとはなにか」の2つで決選投票を行い、「(オンライン通話での)ビデオON/OFFの違いとはなにか」が選ばれた。


そこからはオフラインでの哲学カフェのときと同様かそれ以上に活発な対話が3分ほどの休憩を除いて1時間以上展開されていった。戸谷さんも途中で「哲学カフェとは往々にして一つの議論の道筋で進まず、複数の話題が絡み合う」というようなことをおっしゃっていたけれど、まさに今回もその通りで、様々な事柄が絡み合いながら思考が進んでいった。


途中で行われた戸谷さんによる整理をもとに出た話題を列挙してみると、

・ビデオのON/OFFによって

 コミュニケーションの仕方が変化する

 コミュニケーションの円滑さや理解力の差が生まれている

 公私の区別があいまいになる、ON/OFをめぐる礼儀問題が生じる


・特に教育(オンライン授業)では、ビデオONは学生への監視や拘束機能を強める

→そもそも対面授業でも監視や拘束は行われていた。オンラインと対面授業にその点で違うところはあるのか?


・(Zoomでの)ビデオONは自分の画面に自分が映ってしまうことによる脅迫感が生じたり、それがコミュニケーションに及ぼす影響がある

 →自分を映すという点では同じはずの鏡とカメラONの違いはなにか?


・場所の特権性 従来私的なものだったはずの家のなかが公共空間になってきてしまう →画面上のこの四角の枠の外側にある(いる)もののこと

・自分に自分が見えていることによってコミュニケーションが変容してしまう

 →youtuber化する私→こういう自己強制はなぜ起きる?


このような多岐にわたる話題が出た対話(これでも戸谷さんの整理がかなり加わっている)は一面ではスッキリとした議論とは言い難いし、わかりづらさを生んでもいるのだけれど、他方で話を進めていくうちにいくつかの話題が絡み合いながらその場でしか生まれないような発展を見せるところに哲学カフェの面白さがある(と思っている)。

今回、対話が終わりに差し掛かったころ最も白熱(?)したのは、まさにビデオのON/OFの参加者が半数ずつ程度であったその場において、お互いがどのように見えているか、感じられているか、という<今・ここ>で起きていることが話題になったときだ。

ONにしている側はOFにしている側に対して、自分だけ一方的に見られており(監視されており)、相手がどんな存在なのか情報が足りず「怖い」と感じている。その一方で、ほぼ初対面の面々に対して自身の情報(容姿や生活スペース)をさらすことのリスクや、自分の属性などをカテゴライズされることを拒否するためにOFで参加する人もいる(そしてそれはこの対話の場では認められている)。オフラインと違ってオンラインのビデオ会議では、他人が自分に視線を向けているかどうかすらわからない怖さがある。


ここには真っ暗闇で対話をする「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」と似たようで、大きく異なるものがあるようだ。それは対話の場にON/OFの両者が混在する非対称性の問題。そしてそれぞれがON/OFにしている意図がわからない、という問題。そんなやりとりを聞きながら、自身があまり深く考えずにビデオをONにして対話に参加していたことに気づき、「なぜ自分はビデオを今ONにしているのか」(そして休憩のアナウンスがされたとたんにOFにするのか)を私自身も問い始めたあたりで時間となった。


***


ふりかえりの際に、会が始まるタイミングで戸谷さんからオンライン(Zoom)での哲学対話のためのルールとして、「話し出すときは、挙手をせず、いきなり話し出してください」という指示があったことが話題になった。筆者もオンラインでの哲学対話を最近何度か経験していたが、多くは挙手やそれに代わる手段で発言を希望する人が意志を明示し、進行役が仲介するなどしていた。だれかの話したいという身体の雰囲気がオフライン以上にわかりづらいオンラインではこういったルールは当然必要だろうと私はすっかり思い込んでいたので、冒頭の戸谷さんからのルールの提示には虚をつかれた部分があった(控えめにってそんなの無茶だと思った)。


だが、実際に2時間の対話を通して私の感じる限りでは、私たち参加者ははっきりとした挙手や進行役である戸谷さんによる指名の助けがなくとも、譲り合いながら発言をすることができていたように思う。ふりかえりの場では、先のルールには戸谷さんの尊大な意図があったわけではなく、Zoomの挙手機能の存在を戸谷さんがただ知らなかっただけだったということが明らかになった(それなら最初に挙手機能のようなものはあるか?と聞いてほしかった)。しかし結果としては、Zoomの挙手機能という「技術」だけでなく、私たちは進行役という存在を立てるというある種の対話の「技術」にも慣れきっていたこと、そして(もちろんZoom自体がオンライン化を生み出す技術であることは百も承知であえていえば)それらを廃したところに現れる<技術なしの対話>が生まれたのである。

(小川泰治)


 
 
 

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